POB 本好き連。

*本好き連へようこそ* URLが変更になりました。 ブックマークの登録の変更をお願いします。


四季の移ろうように人も変わっていきます。
しかし、ここに集う人が変わらない唯一のこと
それが本好きである事です。

本好き連はBBSがメインのちょっと変わった集まりです。
一つのスレッドを上げればそこはあなたのスペースになります。
必要なのは、ハンドル・ネームとお約束を守ってくれること。
一緒に遊んでみませんか?

*お約束*
個人に対する誹謗中傷などはしないでください。
HPの宣伝等は書いたままにするのではなく、一生懸命宣伝してください。
自分の発言には自分で責任を持ちましょう。

個人情報の取り扱いにご注意ください。

遊BBSへ近道
本のBBSへ近道
マナーを守って投稿しましょう。この掲示板ではタグは使用できません。
URL、メールアドレスは自動的にリンクされます。
新規投稿はすぐ下から行えます。
スレッド削除キー(最初に投稿した削除キーと同様)   

タイトル : 虚実まぜまぜ話

1 かなめ

2002/07/23 15:37

小説を書きたかったのですが、普段自分が書いている物はここでは向かないので(笑)たまには毛色の変わった奴を。
ホントの事と、ウソの事が混ざり合っています(割合はヒミツ)
あまり考えずに書き始めたので、変な語句とか、解らないトコとか、誤字脱字たくさんあると思いますが、まぁこんな物も書くんだな、程度に思ってください。
削除キー   

2 かなめ

2002/07/23 15:39

   「夏の思い出」

 その日は朝から雨が降っていた。
 暑くはないものの、肌にまとわりつく湿気がイライラする、そんな日だった。
 夕食を彼女と外でする約束をしていたので、7時半に家を出たが、彼女の家にたどり着く前に携帯が鳴った。
 「祖母さん今病院に運ばれたんだけど、駄目そうだから、祖父さんを連れて病院に来てくれ」
 親父からだった。

 男は工業地域の外れの小さな町工場で育ったが、元々祖母は山の中の農家の出だった。
 戦前祖父と見合い結婚をしたものの、子供が生まれるより先に夫は出兵。戦時中は実家に身を寄せ教師をしながら生計を立て、終戦と同時に横浜に移り住んだ。そこで男の伯父に当たる長男・邦彦を出産し、さらに方々を転居しながら次男の和典、長女の綾を産んだ。
 父は息子である男には想像できないほど、幼い頃は病弱だったらしい。中学高校の頃は警察の世話になる度、顔形が変わるほど殴り付けた父親が、だ。
 働きながら(父の言を信じるなら)病弱な息子を良く育てられたものだと思う。尤も、食事の用意など家事をしていたのは叔母だという。確かに祖母が料理をしているのは殆ど見たことがない。祖父の手料理なら何度も食べたことがあったが、祖母の料理と呼べる唯一の物が赤飯だった。
 母は今も「お赤飯はおばあちゃんに習ったのよ」と言う。うちの赤飯は豆が小さい。母の田舎に行くと出てくるのは大きな豆だ。男はあの大きくてぼそぼそとした豆があまり好きではない。
 戦後祖父が興した事業は高度成長と共にとんとん拍子に拡大し、子供が成人し、結婚し、孫が生まれる頃には株式会社へと姿を変えていた。
 長男である伯父は汗にまみれて働くことを拒否し、次男である父が会社に入ったため、男は生まれてまもなくから工場の敷地内で暮らして来た。だから昼間中ずっと鳴り響き続ける機械音は耳障りな物ではなく、逆に夜など、聞こえないと寂しい。
 男が小学生になった時、贈られた机があった。
 真っ白で、綺麗な机だった。取っ手を引くと板が倒れ、それが天板になる、いわゆるライティング・デスク。祖父と父が作った物だった。
 小さい頃から片づけが下手だったから、しょっちゅう物が散らかっていて天板が開いた状態が続いた。すると困ったことにせっかく付いている、一番上の引き出しが開けられなくなる。おまけに天板に手をつくとミシミシ言う。さらに普通机と一組になっているはずの椅子がないから、男は次第に机を使わなくなった。
 子供心にもこの机は失敗だと感じ、いつも倉庫で見かけるやつは椅子が付いてるし、ミシミシ言ったりしないのに、何故父がこれを自分にあてがったのか真意が理解できなかった。
 けれど、ある時父が「一番最初に作ったライティング・デスクだ」と漏らした。そして、本来外国では「ライティング・ビューロー」と呼ばれるそれをあくまでも「ライティング・デスク」だと言い張ったのが祖母だと聞かされた。そして父と祖父は「あの時意匠登録をしておけばな」と笑ったのだった。
 体の大きさと合わなくなった机が解体された日、男はこっそりビスを一つポケットにしまった。どうせがらくたでゴミになってしまうだろうと、小学校高学年になった頭でも想像が付いたが、目の前で白い机がバラバラにされるのを見てしまうと捨てる気にはなれなかった。
 中学、高校の頃の記憶は少ない。同じ屋根の下で暮らしていたが、いわゆる二世帯住宅、食事も風呂も玄関も別々だったため、ろくに顔を合わせる事がなかったからだ。けれどそれまで元気だった祖母が糖尿病を悪化させ、ボケが表面化してきてからは気に掛けるようになった。
 それでも調子の良い時の祖母は昔と変わらない、お茶目な婆さんだった。
 学校を中退し家を出て、そして戻って来た時は既に寝たきりになっていたから、亡くなった今でも何となくベッドのあった場所へ行けば居るのではないかという気がしている。

 「篤志君、写真見た?」
 父の妹の綾叔母さんに、式場ホールを出たところで手招きされた。
 「これスゴクかわいいよ」
 叔母の娘、つまり自分にとっては従姉妹に当たる翔子が、一枚の写真を差して笑う。
 今時の通夜は個人を偲ぶという目的で、過去の写真を展示するそうだ。馬鹿馬鹿しいと思っていたが、今の自分と同い年くらいの祖父母の写真を見るのは正直言って面白かった。
 「ああ…本当だ…美人だな、婆ちゃん」
 古いポスターにでもありそうな、おさげの髪の若い女性は紛れもなく祖母だ。目の辺りが叔母とそっくりだ。
 「これは?」
 どこかの土手らしきところに寝転がった若かりし祖父さんと、その横に座った祖母さんが写っている。
 「家族旅行じゃなかったかな、ねぇ和ちゃん?」
 呼びかけたのは親父にだった。祖母も叔母も父を「和ちゃん」と呼ぶ。父の名が「和典」だからだ。
 「どうだったかな。覚えてるか?」
 父が問いかけると、「覚えてるよ。あの写真は俺が撮ったんだ」と髭面の伯父は答えた。
 「最初で最後だったなぁ、家族旅行。仕事忙しかったし、貧乏だったしなぁ」
 伯父に支えられていた祖父は懐かしむように呟いた。
 そこにはそれぞれの家庭を持ち、既に離ればなれになってしまったはずの家族が集っていた。

 普通通夜の晩は家族が一人、故人が寂しがらないように付き添うものらしい。
 しかし今時そんな面倒な習慣を守るほど信仰熱心な一族ではないので、皆引き上げることにしたのだが、ふと気まぐれを起こして「俺が泊まる」と申し出た。
 「一人で平ぇ気ぃ?」
 二個上の従姉妹、真紀が呂律の回らない口で茶化すように笑う。
 「平気だよ」
 「じゃあまたねー。今度飲みに行こうねぇ」
 酒好きの彼女は来年三十になるのに、小説家になるのだと言って聞かず、結婚どころか就職する気配さえない。小さい頃は良く遊んだものだが、彼女の大学が横浜と離れてしまったせいで、この何年かは正月くらいしか会う事もなかった。
 皆が引き上げると、とたんに静かになった。アルコールが入っているせいか無性に煙草が吸いたくなり、控え室兼宿泊施設を出た。
 確か入り口に自販機があったはずだと思い出し、エレベータで下りると、まったく人気のないロビーの向こうで扉が開いている。
 寝る前にもう一度線香をあげておこうと思い、ホールの中に足を踏み入れた。
 献花に囲まれた祭壇は、きらびやかで祖母のイメージとは違っていた。
 棺の窓を開け覗き込むと、眠るような顔が見えた。さらに蓋をずらし顔を近づけたが、どう見ても眠っているようにしか見えない。手を伸ばし頬に触れたら弾力と暖かさがあるような気がしたが、実際指で軽く撫でて伝わって来たのは、腐敗を防ぐドライアイスの冷たさだけだった。
 「おやすみ、祖母ちゃん」
 焼け残る物はくっつくと良くないから、と棺には入れなかったが、あのどこかにあるビスを探して入れてやれば良かったかもしれない。

 自販機で煙草を買って部屋に戻ると携帯に着信があった。
 「もしもし、どうした?」
 三回目のコールで電話が繋がり、挨拶もなしに問い掛ける。
 『うん…どうしてるかな、と思って』
 「ふうん。それより良いの?友達は?」
 右の肩に携帯を挟んでおいて、煙草に火を点けた。香奈美は煙草を吸わないから、目の前で吸ったことは2回位しかない。
 『先に温泉に行ったわ』
 「じゃあ行った方が良いんじゃない?電話なんてしてないで」
 大学時代のゼミの仲間と久しぶりに温泉旅行に出掛けたのだから、たまには俺のことなど忘れて楽しく過ごした方が良いだろう。
『うん、でも平気。そういう篤志はどうだったの?』
 「俺?散々だよ。親戚や親父の古い友達とかに『こんなに大きくなって!』ってさんざん言われたよ。覚えてねーっつーの」
 香奈美は声を上げて、『ま、仕方ないね』と笑う。
 「……」
 『……』
 少し会話が途切れた。
 短くなった煙草の火を消して、畳に寝転がる。
 「今、葬式会場の宿泊施設なんだよ。誰も付き添わないって言うから、俺だけ」
 『お祖母ちゃん喜んでるわ、きっと』
 「そうだな」
 静まりかえった室内で、エアコンの振動だけが聞こえる。
 「香奈美がこっちに居ればな。そうすりゃ呼びつけて楽しい事もし放題なんだけどな」
 『馬鹿ねぇ』
 彼女の白い顔、白い肌を思い出す。
 真紀と同い年だが、従姉妹にはない深い知性と儚さが香奈美にはあった。
 「仕方ないから想像で我慢するよ」
 重ねて卑猥な事を言っても怒りも呆れもせず、『出来もしないことを言わないの』と窘められた。
 『それじゃ、そろそろ温泉行くから。またね』
 「ああ…気を付けて楽しんで来いよ」
 『うん。おやすみ』
 「おやすみ」
 電話を切ると、電話を放り出して大の字になった。
 色々想像しては見たが、香奈美の言うように何も出来なかった。

 夜が明け、家に帰ると既に伯母達は集まっていて、母と居間でお茶を飲んでいた。
 「お帰り、ご苦労様」
 「良く眠れた?」
 民恵伯母は真紀の母親だが、まだ彼女は来ていないようだが、仕方ないだろう。昨日は通夜振る舞いでかなり飲んでいたから。
 「でも良かったわよねぇ、本当に苦しまなくて済んで」
 「琴絵さんも良く頑張ったわ。お祖母ちゃん最後は寝たきりだったのに」
 何度も話した祖母が亡くなった時の状況を、また茶菓子代わりに繰り返している。これから当分の間、聞かされることになるだろう。
 「そうね。お祖父ちゃんが来るのに間に合わなかったのが残念だけどね」
 …え?
 「でも良いんじゃない?亡くなった時間は、お祖父ちゃんが来てからにして貰えたんだし」
 「主治医の先生が丁度当直で良かったわ」
 祖母は、祖父が病院に到着する前に亡くなっていた?
 父に危篤の連絡を受け、祖父を病院まで連れて行ったのは…俺だ。
 病院の廊下で泣く母や叔母を横目に病室に入ると、点滴と脈拍のモニターに繋がれ祖母は眠っていた。祖父はその腕を取り、名前を呼びながら撫でた。
 その時、俺は…
 皮だけになってしまった指が祖父の手を小さく握り返そうとするのと、小さく微笑むのを見た。
 見た、はずだ。
 祖母は亡くなっていた?
 幻だったのだろうか。最期に立ち会わせる事が出来なかった負い目が見せた、幻影だったのか。

 葬式が終わり、日常に戻ってから数日、香奈美が大きな写真用の額縁をくれた。
 「お祖母ちゃんの若い頃の写真、入れてあげたら」
 祖父にいつだったか、「自分の青春時代は丁度戦争だったから、お前は今を悔いのないように過ごせ」と言われた事がある。
 写真を入れて渡すと、祖父は愛おしそうに縁を撫でた。
 最後まで愛されて、祖母の人生に悔いはなかったはずだと思った。

 夏は既に終わろうとしていた。

   <おわり>
削除キー   

3 氷犬

2002/07/23 23:56

感想、書かしてもらってええかな?
(て聞くふりして勝手に書き始めるわ。(笑))

正直、唸らされたわ。
淡々と語られる口調。どこか少し冷めているとも取れるその口調に、不必要な感情を削ぎ落とした客観的な、それでいて他人事ではない切実さを内包した感情が見え隠れする。その独特な雰囲気作りに、「上手い!」て唸らされたで。
けど、ちょっと注文も有る。
冒頭、一人称で語られ始めて、わずか数行で「男は工業地域の外れの小さな町工場で育ったが・・・・」て続いてるよな。ここの所が、ちょっと分かり辛い感じがするわ。視点の統一をしてくれると、もう少し読み安うなるんとちゃうやろか。(生意気な注文や。(笑)あ、それと、「おのれはどうなんや!」てな突っ込みは無しな。(笑))

けど、そんな瑣末な事を差し引いても、充分お釣りが来る位に、「かなめワールド」の独特な雰囲気を、堪能させてもろたで。

最後に一言。
「もっと他のも読みたい〜〜〜!!!」
削除キー   

4 かなめ

2002/07/24 23:40

>氷犬兄貴様様
感想でも駄目出しでも何でも書いて下さいませvv

>視点の統一をしてくれると、もう少し読み安うなるんとちゃうやろか。

はい、その通りでございます。
自分でもどうするか迷いました。
当初全て「男」で片づけようと思っていたのです。お祖母さんが主人公であって、「男」は脇役だから。
でも書いているうちに他の部分が長くなりました!(笑)
それで人称を統一しようとも思ったのですが、それをしてしまうとひとつひとつに感情を書き足さないと気が済まなくなるので、そのままにしました・・・ただ面倒くさいって理由も多分にあったのですが(おい)

>「かなめワールド」の独特な雰囲気を、堪能させてもろたで。

>「もっと他のも読みたい〜〜〜!!!」

有り難いお言葉です(ほろり)
今調子こいて次書いてます。
でも「かなめワールド」ってどんな物なんでしょう?自分では解りません(笑)
削除キー   

5 かなめ

2002/07/28 05:48

書きかけていた次の話を大量に修正することにしたので、先に別の話行きます。
削除キー   

6 かなめ

2002/07/28 05:50

   「足」

 俺が今よりもう少し若くて、馬鹿だった頃の事。
 二十歳そこそこのガキの興味のあることと言えば車と女。当時親のお下がりを乗り回していて、それはそれで快適ではあったが、あれやこれやいじるのには少々問題があった。
 まだ自営の仕事ではなく、別のもう少し大きな会社で働いていたのだけれど、内緒でファミレスの皿洗いのバイトをしたりして、半年もすると念願叶って赤い車のオーナーになった。
 今はもう生産されていないその四駆のスポーツカーを三十分も走らせ(実際はもう少し速く走っていたが)、俺と学生の時からの悪友・市山と三井は毎週末山へ出掛けた。
 今も走っている奴らは多いようだが、山中を抜ける有料道路が廃止されてから数年、段々夜中に走る奴らが増えて、それを見に来る奴とギャラリーの女の子のナンパ目的でくる奴、小競り合いを起こす奴、警察が介入して捕まる奴も多くて、一番酷い頃だった。
 何度も折り返す山道を、とんでもない速度で上り下りする遊びに夢中になった奴らは二つのパターンに分かれる。
 窓から腕や顔、足や身を乗り出して、お前どうやって運転してるんだよ?というようなアクロバティックな方向に進む奴(確かに見てると面白い)と、とにかく速く走る、誰にも抜かれたくないという奴。
 後者だった俺だが幸いというべきか、一年経っても事故を起こすことはなくそのまま雪の季節になり、山は静かになった。
 しかしそういう時は平地を時速三百キロ以上で走るような事をしていたので大馬鹿者だ(ちなみに勿論夜中)
 真っ直ぐの道は運転技術より車の性能に左右される。だからどんなに速くても、所詮車のおかげだろうと言われるのが嫌で、皆春になると山へ帰って行く。

 そしてその年の二月末、そろそろ雪溶けするだろうと様子を見に行ったのが悪かった。
 走り慣れた山道を下から登って行くと、思った以上に雪は少なく、難なく頂上にある湖の畔に出た(湖畔は雪が多かったけれど)
 この分じゃ雪が降らなければ二週間もすれば走れるな、と思いながら来た道を下っていくと、(当たり前だが)アクセルを踏まずともスピードは上がった。
 最初のカーブは二十五キロ、次のカーブは二十八キロ、その次のカーブは三十二キロ、さらに次は三十六キロ。
 調子良く加速して行き、とうとう四十五キロを超えた。
 さすがにそろそろ危険だな、そう感じ、次のストレートで減速しようと思いながら右のヘアピンに差し掛かった。
 残雪に右後輪が乗ってしまった。
 すぐにハンドルで立て直せば良かったのだが、事もあろうかブレーキを踏んでしまった。ヤバイと思いブレーキを放しても、勢いのついた車は左右にぶれる。ぶれたあげく左へ逸れ、コンクリート壁が目前に迫ったので右へ切った(そこで同時にサイドブレーキを引く事がどうして出来なかったのか、今でも悔やまれる)
 ガードレールが目前に迫り、さらにその先に杉木立が見えた。

 死ぬと思った瞬間、人は本当に走馬燈を見る。
 俺の場合は走馬燈というよりは心残りだった。
 汚れきった部屋に隠してある親に見られたくない雑誌や、当時つき合っていた彼女とのツーショット写真。当時は携帯を持っていなかったから、死んだら誰を葬式に呼ぶべきか親は解るのだろうか?そもそもこんな山の中で何をしていたかきっと不思議に思うだろう。市山と三井は無様な最期に笑うか、それとも怒り狂うか。
 一瞬でそれらが頭を駆け抜けると、ガードレールに車はつっこみ、反動で半回転して止まった。
 車が止まって最初に思ったのは、「生きてる」だったが、次に考えたのは「やっちまった」
 エンジンを切り降りて見ると、ボンネットは見事な「へ」の字で、白い煙が出ていた。
 通りがかったおじさんに携帯でJAFを呼んで貰ったが、レッカーが来るまでの四十分程の間の情けない気持ちと言ったらなかった。
 以外にも山道を通る人は多く、わざわざ皆窓から…時に下りてまで…「怪我はないか?」だの「大丈夫?」だの声を掛けてくれるのだ。「心の傷がえぐられるから、お願いだからほっといてくれ」と思いながら、笑顔で「平気です」と答え続けた。
 心配された修理代は約百万。
 車両保険がどうにか利き、懐はそう痛まずに済む事になったが、心の痛みは修理から返って来るまで続いた。

 あれから数年、黒い外車を間に挟み白い国産車に乗り継いだが、縁石にぶつけて車も心も凹んだ俺に今の彼女である堀田香奈美が言った。
 「みんな『怪我が無くて良かった』って言うけど、私も篤志が怪我無くて良かったって思ってる解るけど…でも、傷付けるくらいなら自分が怪我した方がマシだって思うよね。車って自分の足みたいなものだから。車を無くすことは、自分の足を切断するのと同じくらい辛いんだよね」
 その通りだと思った。
 あの時怪我一つ無かったのは、あの赤いスポーツカーが身代わりになってくれたおかげだ。怪我が無かったから、そんな風に気持ちを解ってくれる彼女に出会えたのも事実だ。
 だけど引き受けられるものならば引き受けたいと、今でも思う。
 それは無事だった者の浅はかな考えかも知れないが、あの頃の俺にとっては車は足であり翼だったのだ。 
 取り替えの効く足ではない。同じ型、同じ性能の車を持って来られても、この車でなければ意味がない。車を道具としか捕らえられない奴には理解し難いだろうけれども。
 俺は車を変える度、いつもそう思う。

 あれ日から山を「走る」事はしていない。

   <おわり>
削除キー   

7 まりかちゃ

2002/07/28 19:45

車に乗る人間として怖さはわかる。
山道のカーブは、スピードを乗せて抜けるとまた気分もいいだろう。
けれど、抜けられればの話であって、抜けられない可能性も何割かはある。それを忘れるんだよね。

五体満足で何不自由なく暮らしていると、手足のありがたさがわからないのと同じ。不自由になってみて初めてわかるのでは遅すぎる。

ぶつかりそうになった瞬間、必死にブレーキを踏みしめ、しかも両足で、なおかつ、ハンドルを握り締め
「頼むから止まって〜〜〜〜〜」と心の中で絶叫したことがある。
でもまだぶつかったことはないけど…
いつも、間一髪でセーフなのです。(笑)
車が止まったときにサーッと引いて行く血とどっと吹き出る汗が心臓のばくばくとともにかなり堪えます。

車は足であり翼。
そして、時には凶器にもなり得ます。安全運転してね。
かなめちゃんのアクセルの踏み込みはかなり大胆だもんね(笑)
(人のことは言えないかもしれないが…)
削除キー   

8 YOU

2002/07/28 20:24

かなめさん
読ませていただいてますよ。かなめさんらしいと思う。

ひとこと。
子を持って思うこと・・その子が無事なら、それで
もういうことはありませんよ。
(経験者として)


削除キー   

9 かなめ

2002/07/30 01:54

>まりかちゃん
この間、「車間距離が短い」とかつてお山遠征組だった友達に指摘されました・・・あと、観覧に出掛けていた事のある女友達には「かなめちゃんの運転って普通だと思ってたけど、普通じゃなかった!」と言われた事も・・・気をつけます(苦笑)

>YOUさん
私らしいって・・・どういうことなのでしょう・・・(笑)
事故を起こすと、自分の体は自分の物ではなく、人のために存在しているのではないかと思います!
心配はしたくないし、されたくないから皆安全運転で〜
削除キー   

10 YOU

2002/07/30 20:02

>かなめちゃーん
らしいのは、作品ですよ。
一言ではいいつくせないけど。
氷犬さんのいうかなめワールドかな。
削除キー   

11 氷犬

2002/08/02 01:46

車にこだわりを持つ男の、初めての事故。その時の耐え切れない心理が、「心の傷がえぐられるから、お願いだからほっといてくれ」に端的に表されてると思うわ。
わしも大学時代、初めての事故の時には、柄にも無く相当へこんだ事を思い出したで。

(けど、そのずっと後、お仕事で故意にぶつける事を経験してしもたら、もうその後は「直せば元通り。」て開き直る事が出来る様になったけど。(笑))

感心したんは、女の子やのに、男の気持ち書くの上手いな〜て所や。
かなめワールド、もっと読みたい〜〜〜!!!
削除キー   

12 いろは

2002/08/02 02:11

読ませていただいてまーす。
いよっ!かなめちゃん、男前!!(誉め言葉ですよー)

削除キー   

13 かなめ

2002/08/13 16:16

>氷犬兄貴
>感心したんは、女の子やのに、男の気持ち書くの上手いな〜て所や。

その代わり、女の子の気持ちが良くわからなかったり・・・(汗)

>いろはさん
わぁい、褒められちゃったvv

女性への最上級の褒め言葉だと思います「男前」
男性への最上級の褒め言葉は「可愛い」
普通に生活していたら持ち合わせていないはずの部分。それが顕れているから言えるので、褒め言葉。


さて、次行きます。
女性が書けない人が書いたのでなんとも・・・
削除キー   

14 かなめ

2002/08/13 16:20

   「線路のような日々」

 私、鈴木真紀の夢は小説家になる事。
 大学を出てから親の脛を囓りながら雑誌への投稿を続けている。
 親とは三十までに物にならなかったら諦めて就職する事で取り決めがなされているのだけれど、その事は周りも知っていて応援してくれるし、祖父はなかなか実らない事を会う度心配してくれる。
 でも誰より一番不安に思っているのは自分自身。約束の期日まで後半年。
 焦りと不安が交差したまま、実家に帰った時のこと。

 二つ年下の従兄弟の篤志に再会したのは、祖母のお葬式の時だった。
 お互いアルコールが好きだったので、郷里に帰ると時々飲みに出掛けるようになった。
 私たち家族は工場の建ち並ぶ地域の、祖父の営む木工場の敷地に住んでいたのだけれど、三歳年上の兄が幼い頃から喘息を煩っていたせいで母はその家を嫌い、小学校三年の時同じ市内の新興住宅地に引っ越した。
 父は家具を作る事や工場経営には興味がなく、その頃はピアノの調律師をやっていて、会社は叔父が継いでいたから年齢と共に次第に近寄ることがなくなった。
 同じように同じ敷地で姉弟のように育った篤志は、今その会社で働いている。ゆくゆくは彼が継ぐことになるのだろう。
 酔うといつも以上に饒舌になる私は、尊敬する作家や好きな物語、書きたい題材について語った。
 若いくせに妙に世間慣れしている篤志は、相槌を打ちながら面白そうに聞いてくれていたが、ぽつりと、
 「なんか、そういうのって勿体ない気がする」
 と言った。
 「勿体ないって、どういう事?」
 「上手く言えないけどさ。書いてる暇が勿体ないって言うか…そういうことしてる時間があるなら、外に出て色々な経験した方が楽しいだろ」
 水割りのグラスを片手で回し、右手では顎を撫でている。
 「まぁ、想像だけじゃリアリティが少ないからね。確かに書くのに経験は必要ね」
 だから一度就職はしてみた方が良いとは思ってはいたけれど、いまだに踏ん切りが付かないでいた。同じ理由から、結婚もしてみた方が良いかも知れないとは思う。
 「そうじゃないよ。その時間を他の事に当てられないのかって事だよ」
 「…つまり、小説を書く事は無駄って事?」
 口調がきつくなってしまった。
 「真紀ちゃんが好きで書いてるんだから無駄とは言わないけどさ。読書しない俺から見たら、他にもっと楽しいことあるんじゃない?って思う」
 ムッとしていたのに小さい頃と変わらない呼び方をされ、少しくすぐったい気持ちになる。
 「そりゃあ楽しい事はあるわよ。でも、他に代えられないわ。私にはこれが一番大事なのよ」
 「ふーん。一番ねぇ」
 口調は柔らかかったが、目が笑っていない。
 「何で簡単に『一番』とかって、言えるんだろうね」
 「簡単じゃないわよ。もう十年近くそう思ってるわよ」
 小説を書くようになったのはもっと前からだけど、本気で仕事にしようと思ってもうそれくらい経つ。
 「大切な人が居て、そいつが一番で、他じゃ駄目だって言っておきながら、気持ちが変わる事あるでしょう。それで『一番』とか言われても信用できないね」
 「恋愛ならそういう事あるでしょうけど、これは違うわ」
 「同じだよ、俺にとっては」
 忌々しげに呟くと、篤志は一息でグラスの中身を空けた。

 「篤志は何かになりたいって思った事ないの?」
 昔から不思議な子だった。
 私の後をちょろちょろ付いて回ってはいたけれど、どこか地面に足がついていないとでも言おうか。
 だから中学高校の時、「篤志は度々補導されて、困った子だねぇ」と親戚から聞く度、「やっぱり」と思ったのだった。
 決して、不良だから行く末が解っているとか言うことではなく、ある日突然ひょっこり消えてしまうのではないか、そんな気がするのだ。
 「あるよ、それくらい」
 ふて腐れたようにそっぽを向く。
 「何?」
 「…花火職人」
 中学生の男の子が冷やかされた時のように、「何だよ?悪いかよ?」と照れ隠しに悪態を吐いた。
 「へぇ…そっか。ちょっと以外かも。それって今でもそう思う?」
 「そりゃ…花火見た後は思うよ。あんな綺麗なモノ作れるなんてすげーじゃん。マジ感動する」
 「だったらなれば良いのに」
 目をきらきらさせて嬉しそうに語る篤志は子供の様だったが、私の言葉に表情が一瞬にして大人に戻る。
 「…出来るならそうしたいね」
 出来る事なら。
 大人になる前なら。
 もう一度やり直せるなら。
 「私はそんな風に思わないよ」
 脛囓って書いてもモノになるはずがない。
 ここまでやっても才能がなければどうにもならない。
 チャンスや運で全ては決まってしまうのかもしれない。
 「誰かに頼っても、躓いても、前に進みたい、やり直したいって思う気持ちがあるなら、諦めない限り何とかなるはずだって思う。出来ないって感じるのは、篤志にとってそれがその程度でしかないって事なのよ」
 いつも書きながら迷ったり苦しんだりするけれど、結局いつも同じところに戻って来てしまう。それはどんなに離れたいと思っても、私の心の奥に蓄積し染みついた情熱がそうさせるのだ。
 「だからね、つまらない、無駄だ、って言われても止めたりしない。私にしたら、一生掛かっても手にしたい物のない篤志の方が、つまらなくて勿体なくて、可愛そうだわ」
 お互いの言葉に腹が立つのはそれが正論を含んでいるからだ。目を反らしている部分に入り込む輩を、自分自身の奥深くが拒む結果だと思う。
 「正直、自分でも駄目なのかも知れないって思うわ。でもね、諦めてしまったら、今まで掛けてきた時間がそれこそ無駄になってしまうような気がするの。もしかしたらもう書く事への執着ではなく、費やした時間への執着なのかも知れない。けどさ…楽しいんだ」 新しい題材を見つけて話をふくらませる時の気持ち。
 登場人物を決めて名前を考える時の気持ち。
 何も入力されていないワープロの画面に向かう時の気持ち。
 驚くほど筆がはかどり、自分は天才なのでは?と自惚れる時の気持ち。
 物語を締めた後の気持ち。
 自分以外の人に小説を見せる時の気持ち。
 意図した部分を的確に読みとって貰えた時の気持ち。
 「何度繰り返しても、同じようにわくわくするの。それはたぶん、篤志が花火を見る度に感じてる気持ちと一緒だと思うわ」
 他の物でその感情を補えたことは、一度としてなかったから。

 「後、半年だね」
 数日後、駅まで見送りに来てくれた篤志は車のハンドルに腕を掛け、正面を向いたまま言った。
 「うん」
 半年後、私は三十歳を迎える。
 「あのね」
 足下に置いていた着替えの入った荷物を抱えると、勇気を出して見据えた。
 「次が最後のチャンスだと思う。それで…今までフィクションばかり書いて来たけど、モデルの居る話を書こうと思うの…」
 首を傾げ、こちらを向いた。
 「篤志の事、書いてもいい…かな?」
 大きな目でじっと見つめられ、「勿論名前は変えるし、変な事も書かないし、迷惑掛からないようにするから!」と捲し立てる。
 年下の従兄弟は目を細めると小さく、「頑張れ」とだけ呟いた。
 
 私はきっと三十を超えても、書くことだけは止めたりしないだろう。
 重要なのは「書くこと」のただ一点であり、「プロ作家になる事」ではないのだから。

 新幹線の窓から、生まれ育った街が小さくなって行くのを眺める。
 故郷を離れる時の思いは、いつも少し切ない。
 目前に新しい街が迫り、また遠離る。
 そしてそれも通りがかりのはずなのに、私を感傷的にさせる。
 同じように人生は、たくさんの葛藤と共に喜びが繰り返されるのだろう。
 この線路のように、一つの目的地に向かって。

   <おわり>
削除キー   

15 風花

2002/08/15 12:27

交通事故の話もあるのね・・・。

私は事故の瞬間、「まあまあの人生だったな」と思った。
でも、今のところまだ生きてるけど・・・。
削除キー   

16 氷犬

2002/08/18 13:01

> 同じように人生は、たくさんの葛藤と共に喜びが繰り返されるのだろう。
 この線路のように、一つの目的地に向かって。

目的地は人それぞれ。皆が終着駅まで乗るとは限らん。
けど、乗ってて楽しい列車がええな。乗ること自体を楽しめると、何処で降りても満足いくやろ、きっと。
削除キー   

17 かなめ

2002/08/22 15:26

>風化さん
何でもありますよ・・・たとえ作られた物語でも、良い事悪い事、両方あってこそだと思うので。

>氷犬兄貴
そーです。まずは楽しくなければ駄目なのです!
端から見たらつまんない事でも、そこから楽しいと思えるモノを見つけ出せるのは一種の才能だと思うし。
読書も「本読んで何が楽しいの?」って言う人は可愛そうだと思うわ。うん。


はい、では次行きます(早いな)


削除キー   

18 かなめ

2002/08/22 15:27

   「西瓜と線香」

 祖母が亡くなって、初めてのお盆。
 祖父や母親は、それこそひと月以上前からその日に備えていた。
 俺も何となく逃げ出す機会を失い、大人しくそれにつき合った。
 香奈美がくれた、一抱えもある大きな西瓜を白木の祭壇の脇に置く。祖母は甘いもの全てが好きだったが、特に夏は西瓜を好んだ。
 おはぎに茹でたとうもろこし。桃に梨に葡萄。
 大きな涼しげな色合いの灯籠がくるくる回る。
 立ち上る線香の香り。
 元気な、まだふっくらとしていた頃の遺影。

 朝イチでやって来た元従業員と伯父夫婦が帰ると、祭壇のある部屋は祖父だけになった。 「線香上げに来たよ」
 襖を開けて覗くと、祖父は祭壇の写真をぼんやり眺めていた。
 座るのが大変なくらい良くふくらんだ座布団に腰を下ろす。
 「綾はどうした?」
 「母さんとおはぎ作ってるよ」
 母以外の女手がないから、叔母は朝早くから来て手伝ってくれている。
 「そうか」
 そして再び写真に目をやる。
 会話が途切れたので線香に火を点け、香炉に立てた。
 「これ何回鳴らすの?」
 鈴だったか、小さな座布団に金属の器を乗せたような奴を指さす。
 「それは鳴らさないんだ。お坊さんがお経を挙げた時に鳴らすんだよ」
 「ふうん」
 俺が首を傾げると、祖父は伸ばした白い顎髭を左手でしごき、面白そうな顔をした。
 幾つになっても親にとって子供は子供なのと同じく、俺は祖父にとっては孫でしかない。
 喫煙が見つかって停学になった時も、自転車をパクって捕まった時も、人を殴って大事になった時も、ただ面白そうに同年代としては大きな掌で頭を撫でるだけ。そこにあるのは教えたり諭したりの関係ではない。
 「それにな、線香は立てないんだ」
 「え、じゃあどうするの?」
 「短くして、横にするんだ」
 指摘され、立てたばかりの線香を抜いた。
 「折って良いの?」
 おそるおそるその細い香を半分に手折り、香炉の灰の上にそっと置いた。
 「火は絶えてもかまわないから、その代わり言い香りのするものを選ぶんだそうだ」
 「へぇ」
 「拝むのも仏様ではなくて、掛け軸とかに描かれた阿弥陀如来を拝むんだ。だからうちには位牌がない。その代わりに故人の経歴を書き記した過去帳を飾ったりする」
 確かに掌に載るくらいの、古びた手帳のようなものが置かれている。ただし開いて立ててあるけれど、達筆すぎて祖母の何が書いてあるかは解らなかった。
 「亡くなった人は極楽から現世の人間を見守ってくれていて、こっちには帰って来ない。うちの宗派ではお盆には帰って来ないんだよ」
 それから手への数珠の掛け方だとか、さらに話してくれた。
 「寂しくないのか」と口には出さなかった。
 聞かずとも答えは解っていた。
 いつも楽しそうな祖父さんの目は、祭壇脇の西瓜を見る時だけ違うものだったから。

 柄にもなくお盆なんてものに参加したのは、祖母に会いたかったからなのかも知れない。

   <終わり>
削除キー   

19 かなめ

2002/09/28 03:06

   「金木犀」

 「どうした?珍しいな、会いたいなんて言うの」
 残業中に来たメールは、「今日時間ある?」それだけ。
 理由も告げられず呼び出されたのは久しぶりだった。
 「うん…」
 香奈美は、助手席で窓の外をぼんやりと眺めている。
 「遅くなって悪かったな、ずるずる仕事長引いてさ。どこか入る?」
 「ううん、いい」
 首を小さく振って、小さな声で答える。
 仕方ないので適当に走り、総合運動場の駐車場に車を止めた。
 「それで?何があったの?」
 アフターアイドリングの時間を適当にセットしてからエンジンを切り、ようやく彼女の顔を覗いた。
 明らかに気落ちしている表情に、「まさか別れ話?」と少しだけびびる。
 「満開だね」
 「え?」
 香奈美はそう言うと車外に出た。
 開いたドアからほんの少し涼しくなった夜風と、甘い匂いが入り込んで来た。
 「金木犀か…」
 金網で仕切られたグラウンドの端に一定間隔で植えられた金木犀。外灯の微かな明かりでもわかるオレンジ色の小さな花が、今が盛りと芳香を漂わせている。
 じっと花を見上げる白い横顔が今にも泣き出しそうで、抱きしめるべきか否か迷った。
 「あのね」
 腕を伸ばそうと思った時、逃げるようにくるりと背を向け木の下を離れられた。
 「うん」
 あっちへふらふら、こっちへふらふら、香奈美は広い駐車場を彷徨い出す。後ろをゆっくり付いて歩きながら、小さな声を聞き逃さないよう耳を傾ける。
 「悲しかったの」
 「うん」
 「好きな作家がね、亡くなったの」
 「そっか」
 「うん、そうなの…篤志は知らないと思うけど、鮎川哲也って有名な推理作家でね、私は日本の古今東西ナンバーワンだと思ってる」
 「そんな凄い作家なら、辛いね」
 「辛い」
 自分の腕を抱いて、小さなため息。
 「寒い?中入る?」
 車を指差すと「ちょっとだけ」と頷く。
 「で、俺はどうやって慰めれば良いのかな?」
 アイドリングが切れて静かになった暗い車内で、表情を見る。
 「うーん…会う前はギュッてして貰ったら少し元気になれそうな気がしてたけど…」
 「それじゃ駄目なんだ?」
 「ううん。そうじゃなくて、篤志の顔見たらそれだけで落ち着いた」
 「私って現金」と苦笑する。
 「けど良かったよ。実は俺、別れ話でもされるんじゃないかってビクついてたんだ」
 そう戯けてみせると、「篤志ってお馬鹿さんねぇ」と歯を見せて笑い、ようやくいつもの香奈美の表情に戻った。

 家の手前に車を止めると、「今日はごめんね」と言ってドアに手を掛ける。
 しかし扉は開かれず、香奈美は去りがたいのか視線を落とすだけ。
 「明日もまた仕事だろ」
 「うん、仕事」
 小さく頷く彼女の肩に手を掛けた。
 「たまにだから弱ってる香奈美も悪くないって思うけど、直接助けてあげられる訳でも常に側にいられる訳でもないから、自分で頑張るしかないんだよ」
 「わかってる。大丈夫」
 耳元で聞こえる声は少し震えている。
 「泣いたら化粧が落ちちゃうよ」
 「泣いて…ないもん…」
 背中に回された腕に込められた力は、強く切ない。
 その強さでどれだけ敬愛していたか、わかるような気がした。
 「たまにだから、ね。泣きやむまでこうしててやるよ」
 香奈美の髪は金木犀の香りがした。

   <おわり>
削除キー   

20 かなめ

2002/09/28 03:07

こんなのだけど、急遽、鮎川先生の追悼・・・
削除キー   

21 氷犬

2002/09/28 17:31

おお!久々のかなめワールドや。
く〜〜っ!こういう独特の雰囲気作り、上手いなあ。
特に、この女の子の名前を「香奈美」てした事で、書いてるかなめさんとダブらせる。しかし語っている目線は相手の男性・・・・その微妙なニュアンスの使い方、絶妙やで。
削除キー   

22 かなめ

2002/09/29 23:59

>特に、この女の子の名前を「香奈美」てした事で、書いてるかなめさんとダブらせる。

褒めて貰ったのにすんません、偶然です名前(笑)
削除キー   

23 氷犬

2002/09/30 14:35

偶然な。そういう事にしとこ。(笑)
削除キー   

24 YOU

2002/10/07 17:31

かなめさん 
もう読んだかも知れないけど本日の朝日夕刊に

「本格の灯を守った情熱」ミステリ作家・鮎川哲也氏を悼む

 と題して 有栖川有栖さんが書いておられます。
 念のため、お知らせします(笑)
削除キー   

25 かなめ

2003/04/11 17:06

実に半年ぶり(笑)
忘れてた訳ではなく、書く物があるようなないような・・・つまりはやる気がなかっただけ(おい)
では行きます。


   「跳ぶ人」

 麗らかな休日の昼下がり。
 一人気ままな買い物に出た。
 新しい春物のスカートとお気に入りの作家の新刊を手に入れて、そろそろ休憩したいな、と思って居た時。
 旅行代理店の、通りに面した窓ガラスで三十代半ばの男性社員がポスターの貼り替えをしていた。
 その剥がされるポスターを見て、軽く眉をひそめた。
 『花崎スキー場』
 私はウィンタースポーツが好きではない。
 寒いのは大の苦手だし、休みの日は運動するよりも家で本を読んでいる方が良い。それに何より、篤志が休みの殆どをスノーボードに費やしてしまうから。
 恋人の篤志は冬場仕事が忙しく、月に二度の土曜休みもなくなってしまう。週に一度、日曜日くらい一緒にいて欲しいと思うものの、いつ予定を聞いても「日曜?市川たちとボードだよ」と、決定事項のように言われてしまう。
 普段ワガママや願いことの類を口にしない篤志だけに、自分の言うことばかり聞いて貰うのは良くない、少し我慢しなくては、と思うとそれ以上引き留める気にはなれない。
 こんなにいい天気なのに(いい天気だから?)やっぱり山へ行ってしまっているせいで、私は一人でショッピングだ。けど、「もうシーズン終わっちゃうよ」と寂しそうに言われると「残念だね。いっぱい滑っておかないとね」と言ってしまうのだからどうしようもない。
 ウインタースポーツが好きじゃない、と言ったけれど、本当は憎んでいるのかも知れない。
 何事もありませんように、と見えない山の方を向いて私は祈る。

 今から遡ること三年。
 その頃はまだ自分の気持ちに素直になれなくて、でも篤志はそのことに気付いていたらしくて、用もないのに度々電話をする私に文句一つ言わずつき合ってくれた。
 スノーボードに行くと聞いていたから、次の月曜日の夜、電話を掛けた時に「どうだった?」といつものように(詳しく説明されても判らないけれど)軽く尋ねた。
 『実は入院してた』
 「え?」
 思いがけない言葉に、いつもの質の悪い冗談かと思った。
 『頭打ったらしくてさ、記憶がないんだよ。気付いたら帰りの車の中で『あれ?』って気付いて、市川とか『何?新しい遊び?』とか言ってたんだけど、マジで朝からの記憶がないから速攻医者行って、そのまま昼くらいまで入院してた』
 回線の向こうで苦笑するのが、手に取るように判る。
 「…大丈夫…なの…?」
 『ああ。検査で異常なかったし、昼から普通に仕事したけど何ともなかったし、大丈夫でしょう』
 胸がどきどきしていた。
 『市川の話じゃ頭打った時スゲー音したらしいよ。周りがキャーッって叫んだらしい』 からからと笑うけれど、一歩間違えてたら大怪我をしていた。
 『一仁が見舞いに来てくれたけど、もうちょっと忘れてれば、誰と誰がつき合ってるとか嘘吹き込もうと思ったのに、って言ってたよ』
 私のことも忘れちゃっていたかもしれない。
 『勿体ないよね、せっかくボード行ったのに楽しい記憶が一つも残ってないんだよ。なのに頭に瘤出来てるし…もしもし?』
 静かになったことに気付き、「どうした?」と柔らかく聞かれた。
 「…吃驚した」
 怖かった。
 「篤っちゃんが私のこと忘れちゃったらどうしよう、って思っちゃった…」
 初めて、スノーボードが怖いと思った。
 まだ二十代半ば、死なんて頭の片隅にさえなかったけれど、いつ突然消えてしまうかわからないと感じた。
 「それでもまた行くんでしょ?」
 『そりゃ勿論。ボード取ったら冬の間死んだも同然だよ』
 明るい声には私の感じている不安など、まったく伝わっていないようだった。
 「…気をつけてね。次記憶無くしたら、あることないこと吹き込むからね。私のこと忘れたら怒るからね」
 行くのを止めて、とは言えなかった。
 私にはそんな権利はない。ないのが悔しかった。
 『それは困るね、忘れないように気をつけるよ』
 そんな気持ちが通じたのか、篤志は穏やかに言うのだった。

 「雪なんてなくなっちゃえばいいのに」
 張り替えられた、ラベンダー畑の印刷されたポスターを見つめて小さく呟く。
 と、バックの中で携帯が鳴るのに気づいた。
 『もしもし?』
 「どうしたの?」
 道の端によって電話の向こうに耳を傾ける。少し電波が悪い。
 『これから帰るからさ、久しぶりに夕ご飯食べに行くかな、と思って』
 「うん、行く。まだゲレンデなの?ちょっと聞こえにくいね」
 雪の様子を聞くと、『そろそろ終わりだね、もう駄目だよ、溶けまくってるよ』と返事が返る。
 「そっか、残念だけど仕方ないね」
 『一年中冬なら良いのにね』
 「そうだね」
 冗談じゃない、と思いながら口で共感を示す自分がおかしかった。

 電話を終えた足取りは少し軽い。
 街中でジャンプする訳にはいかないけど、本当はしたいくらい春が来るのが嬉しい。
 ふと、思った。
 どんなに頑張っても、私は地面すれすれしか跳べない。
 私だけじゃなく、人は風の力や道具を利用せずに高く跳ぶことは出来ない。
 そう考えると、コンパクトで安価な板一枚で効率よく跳べるスノーボードに惹かれるのは、人の宿命なのかも知れない。
 テレビで観るスノーボードのジャンプはとてもとても高く速く、そして綺麗に跳ぶ。
 高く、速く、綺麗に。
「来年は一回くらい、行ってみようかな」
 篤志と同じ目線で跳ぶことはないだろうけれど、彼が何を求めているのかわかるかも知れない。

 私の足取りはさっきよりもっと軽くなっていた。

   <終わり>
削除キー   

26 YOU

2003/04/12 21:34

かなめちゃん 久しぶり!

いいなあ・・・若いって。
私もはずみたいなあ・・・。
削除キー   

27 かなめ

2003/04/14 09:59

>YOUさん
心だけならいつも跳べるっす!!(笑)
削除キー   

28 YOU

2003/04/14 21:05

>心だけならいつも跳べるっす!!(笑)

で、飛ぶんだけど、飛びすぎてどっかへ行ってしまうか、
着地失敗で痛い目にあってる・・・・のよね。。。(笑)
削除キー   

29 かなめ

2003/04/14 22:59

そうそう、着地は難しいですよね〜
失敗して頭打って記憶喪失にならないようにー
削除キー   

30 fool

2003/08/22 23:39

ここしばらく更新がないところに、それも小説のスレに書き込むのはどうかな〜、と思いながら、書き込みさせていただきます。お気を悪くされたらすみません。

今のオレには書けない文章だな〜っと思いました。とても楽しく読ませてもらいました。
お気に入りは「線路のような日々」です。なんか共感するものが多かったので。
 めっちゃ共感しました!
 筆がはかどった時の自惚れとか、書き上げた時の満足感とか、自分以外の人に読んでもらった時の気持ちとか(氷犬さん、れみすけさん、みて太さんのことですよ〜)
 やっぱり、書くことって楽しいですよね。もちろん、読むことも。
 えーっと、ちょうどいま書いている小説のスランプにはまっている最中だったので・・・、

 ・・・ちょいと元気になりました。がんばるぞー!


削除キー   

31 みて太

2003/08/23 13:15

うらやましいなあ、文章が書ける人、ここには大勢みえますよね。
・・・と言いながら私はかなめさんのも氷犬先達のも他の方々のもあんまり読んでないので(内容がどうこうと言うことではなくて何故か小説をディスプレイ画面で読めないんです・・「まりか出版」なんとかしてくれ! foolさんの二作は短い所為もあってか読みましたが)ここに書く資格はないんですが。
自分で書く人は読み方も違うんだなあ、と「連」の書き込み見てて思います。
私は昔から作文、感想文、日記・・・大の苦手です。よく本嫌いにならなかったなあと自分を褒めてやりたいぐらいです。
いい歳して揚げ足取ったり、駄洒落でお茶を濁したりしかできない、と言うか夢中になってる・・・恥ずかしい限りですが仕方ないですよね、それが好きなんだもん。
まあ、皆さん、其々好きなことを好きなようにやってるのがここの素敵なところだから・・・と半分開き直ってみたものの、やっぱりうらやましい。

foolさん、がんばれ! かなめさんも、氷犬先生も!!

削除キー   

32 かなめ

2003/08/23 21:20

>foolさん
読んでくれてありがと♪
更新がないのはわたしが書かないからです(笑)
一応途中まで書いたのはあるけど、書きながらUPしていくのは性に合わないのでのんびりと行きます。

foolさんの小説を読ませて頂くと、こちらの方こそ「わたしには書けない雰囲気だなぁ」と思います(嘘っこと本当のことが混ざっているので、自分の元々の雰囲気と多少違ってはいるのですが)
スランプに陥るって事は、それだけそのことに心を置いているって事の証拠だと思うんですよね。焦って落ち込んでも、諦めたり書くのを止めたり出来ないのだから、のんびり行きましょう♪

>みて太さん
わたしもディスプレイで読むのは苦手です。
テレビで観たのかな、日本人は短い文章なら横書きの方が早く読めるけれど、長文は縦書きの方が早く読めるのだそうです。たぶんそれが関係しているのでしょう。
感想文が苦手と言いつつ、本の感想書いてるんだから一緒ですよ(笑)
わたしの場合物を書く、というのはごく当たり前の事なのです。歯磨きするのと同じくらい単純なこと。でも気を付けないと綺麗にならないし、自分の思うところに届かないのです〜
羨ましいというのも、書いていても上手な人を見ると思いますから一緒ですね。
好きなことを好きなようにやって、それを認めてくれる人がいるっていうのは本当に幸せなことです。
もうちょいイイモノが書けるように頑張りまーす。
削除キー   

33 かなめ

2004/06/23 16:37

ひっそりと季節ハズレなネタで行ってみます。
(書きかけていたのを引っ張り出してきたのです)
削除キー   

34 かなめ

2004/06/23 16:40

   「年賀状」

 珍しい人から年賀状が届いた。
 パソコンで作られた文章の隅に手書きで、
 『春に地元に戻ります。』
 と添えられていた。

 「香奈美電話よ。中学の同級生で井原さんですって」
 居間でボーっとテレビを観ていると、電話に出た母が受話器を差し出した。
 「え?井原って典子ちゃん?」
 中学時代の三年間、同じ部活だった彼女しか「井原さん」と言う知り合いは私にはいない。それも卒業して数年の間に何度か会ったくらいで、ここ数年は風の便りに近況を聞くだけだった。
 おそるおそる電話に出ると、昔と変わらない声がした。
 「中学で同じクラスだった井原ですけど…覚えてる?」
 「うん、勿論」
 他人行儀に話し出した彼女は正月にクラス会をやることになったが出られるか、と尋ねた。
 「うーん…どうかな、まだわかんない」
 十一月の初め、そんな先の予定など判らないし入っていない。ならば出ると返事してしまえば良かったのだが、少し渋った。
 「返事は後でいいよ。来月入ったらまた連絡するから、その時返事くれるかな」
 「ん、わかった」
 じゃあね、と電話を切ってから、大きくため息を吐いた。
 「クラス会かぁ…」
 今までに何度か開かれてはいたけれど、数回出ただけで後は断っていたし、成人してからは初めてだった。
 ちょっと問題はあったが、明るくて面白いクラスだったと思う。
 でも何故か当時クラスの中で私は少し浮いていた。いじめを受けたりしたわけじゃない。ただなんとなく空気になじめなかっただけだ。
 それがあるからどうしても腰が引けた。
 「どうしようかな…」
 興味がないと言ったら嘘になる。
 当時好きだった子が、どんな大人になったか会ってみたい気持ちが私の心の中に芽生える。

 「お正月に、クラス会があるらしいの」
 グラスの氷をマドラーでくるくるかき回す。
 「行きたくないの?」
 「うーん…そうじゃないんだけどね…」
 小さくため息を吐いたのがばれてしまったらしい。篤ちゃんは不思議な物を見た犬のようにちょっと首を傾げ、微笑んでみせる。
 「ずっと会ってなかったし、特に仲良い友達がいたわけじゃないし…」
 「そうだね。仲の良い人とならクラス会じゃなくたって会えるからね」
 口調も顔もにこにこしてはいるけど、そういう接点も持っておいた方が良いよ、と目が語っている。
 夏に友達になったばかりの篤ちゃんは、何だか不思議な人だ。
 男前で優しくて、いつもオシャレで運動神経も良い。だけど難しい漢字が読めなくて字が下手くそ。その代わり人生経験が豊富で、私より年下なのにお父さんみたいなところがある。
 「もうお正月の話かー」
 青山君はそう言うと、生ビールのジョッキを空けて通りがかりの店員さんに機嫌良く「お代わり!」と突き出す。
 「私たちもやろーか、新年会〜」
 何かにつけて負けず嫌いの有希は、ジュースみたいなチューハイを対抗して飲み干した。
 「気が早いねぇ」
 「やりたくないのー?」
 有希は篤ちゃんにぴったりと寄り添い、腕と腕を絡ませる。
 「…呼んでくれれば行くよ…何笑ってるんだよ、香奈美?」
 何ごともなかったかのように腕を引きはがし、少し体をずらしながら八つ当たりをしてくる。
 「え?笑ってないよ」
 「笑ってたって」
 言いがかりだけれど、ちょっと拗ねた口調が可愛くて、本当に吹き出す。
 「笑ってないない…有希、やるなら二日以外ね、クラス会だから」

 憂鬱な気持ちでタクシーを降りると、周囲を見回した。
 待ち合わせに指定されたファーストフードの前に、何となく見覚えのある顔が集まっていた。
 「こんばんは」
 誰にともなく声を掛けると、長い黒髪の女性が逡巡した後「…香奈美ちゃん?」と私の名前を呼んだ。
 「うん、久しぶり」
 覚えていて貰えて、ホッと胸を撫で下ろす。
 たぶんこの人は小橋さんだ。バスケ部でいつも髪の毛が短かったから雰囲気が違うけど、良い意味で今も世話焼きっぽい。
 「ええっ、わかんなかった!すっごい変わったから!!」
 ちーちゃん。名字は確か赤木さん、千鶴ちゃんって名前で小橋さんと同じバスケ部だったはず。
 「そんなに変わったかなぁ」
 「変わったよ、綺麗になった!」
 話しているうちに段々名前と顔が一致してくる。
 「男子も変わったよね、向こうにみんないるんだけどさ」
 あれが誰で、あっちが誰、たぶんあれは誰々だと思う…そう小橋さんが説明してくれる。
 退屈しないで少し待っていると、眼鏡の男の人が近付いて来た。
 「えーと、坂井です」
 「イタイ君!!変わってない!!」
 「…坂井です」
 ちーちゃんが昔の呼び方で呼ぶと、坂井君は昔と同じちょっと困ったようにそれを訂正した。

 居酒屋でのクラス会は終始なごやかで、特に羽目を外しすぎることもなく、近況などを一通り報告しあう。
 仲の良かった岡谷さんは結婚していて斉藤さんになっていた。電話をくれた典子ちゃんは既に井原ではなくなっていて、三歳の子供もいるそうだ。
 越野さんはアメリカの大学を出て、今も向こうで生活している。クラス一の悪ガキだった古柴君は結婚して、何故か今は沖縄の大学へ通っているらしい(どこまで本当なんだろう?)
 だけど私が好きだった藤原くんは不参加だった。
 彼は出たがったけれど、奥さんが渋ったそうだ。
 「うーん、藤原君も結婚しちゃったのか…」
 人知れずガッカリする私に話しかけて来たのは上野君だった。
 「覚えてる?俺のこと?」
 「え…えーと…」
 「良いって、俺も他の人のこと忘れてるもん」
 今は大学院で放射線の研究をしている、と上野君は改めて自己紹介をする。
 「私はフツーに会社員」
 「そうなんだ、彼氏は?」
 「いないけど…」
 いないけど、好きな人は居た。その頃私は奥さんの居る人を好きで、けれどそれを当人に告げることも出来ずひっそりと想っていた。
 だから藤原君が結婚してしまったと聞いて、余計にガッカリしたのかも知れない。
 「結構飲んでるみたいだけど、強いの?」
 「強くはないと思うけど、好きかなアルコールは」
 最近はよく飲むようになった。篤っちゃんたちが誘ってくれるせいだ。
 「じゃ、今度飲みに行こうよ」
 「そうね、いいよ」
 昔は出来なかった社交辞令への返答も、にっこり笑って頷けるくらいに、私は大人になっていた。

 二次会のカラオケボックスへの道すがら、坂井君と一緒になった。
 坂井君は今、「家事手伝い」だそうだ。
 私の中で頭のいい人のイメージが強かった彼は、大学を出て一度就職したものの辞めてしまい、その後一年就職口が見つからないと言う。
 「大変だねぇ」
 やっぱり人間、学歴はどうでも良いのかも知れない。
 以前はある程度あった方が良いと思っていたけれど、篤ちゃんを見ているせいか最近はなくても困らないと強く感じるようになった。
 篤ちゃんは高校を中退している。
 何があったのか教えてはくれないけれど、それを後悔していないと言うし、仕事はちゃんと出来るし、それで良いのだと思う。
 「仕事見つかると良いね」
 「うん、全くだよ」
 私は坂井君の顔が意外と好きだと思った。眼鏡の似合う人が実は好きなのだ。
 それに何より仕事がないことを焦ったりしてない(ように見える)、暢気そうなところがとても好ましい。
 それは篤ちゃんも一緒で、何につけても鷹揚にしている姿はこっちもホッとするから。

 クラス会の次の日、出かける支度をしている時に上野君から電話があった。
 ちゃんと帰れたかという確認と、飲みに行こうという誘いだった。
 「明々後日から仕事だから、明後日なら…」
 お酒の席での話だと思っていたから、ちょっと吃驚した。

 「楽しそうで良かったじゃん」
 新年会で報告すると、篤ちゃんは満足そうに頷いた。
 「うん。けど…」
 「けど?」
 くるくる梅ハイの梅をマドラーでかき混ぜる。私の癖らしい。
 「けど…残念。好きだった男の子は来なかったよ」
 何故か明日上野君と会う、とは言えなかった。
 
 上野君とは近所のコンビニの駐車場で待ち会わせた。
 どうしてだろう。セダンの助手席に座ると、何だかとても篤ちゃんの柄の悪いアメ車が恋しくなった。
 「こっちの店良く知らないんだけど、どこでもいいかな?」
 気を遣う声に、小さく頷く。
 最初会話は専ら学生の時の昔話だった。
 ごくごく親しい友人以外と、共通の記憶について語るのは新しい発見がたくさんあって面白い。
 上野君が骨折して松葉杖を突きながら修学旅行に行ったなんて、言われるまで記憶の片隅にさえなかった。勿論相手だって私が剣道部だったなんて知らなかったからお互い様だった。
 「でも志摩と仲が悪いのはこの間気付いたよ」
 「え、ホント?」
 中学のバレーボール部は市内でも指折りで部員数も多かったが、そのせいか派閥も強かった。特に志摩さんを中心とした一部に友人の木町敦子は虐められ、辞めるに至った。
 敦子はその後剣道部に移って来て、それなりにいい成績を残したし剣道が好きな様子だった。けれど、それ以上に好きだったバレーを辞めなければならなかったのは悔しかったと思う。
 辞めるか辞めないか、中学生の頭で最大限悩み、迷っていた彼女を知っているから、私は中学の三年間志摩さんを許せなかった。
 あれから十数年経って私も彼女も大人になり、何食わぬ顔で会話出来ると思ったし、実際そう出来ていたと思った。
 「あー、そっかぁ。バレたかぁ」
 私は苦笑しながら、数日前に会った彼女の様子を思い出す。
 声音、笑い方、仕草、何一つ変わっていなかった。
 「近くにいたのに全然志摩の方見てなかったもん、香奈美ちゃん」
 「ええ?そんなことないよ…たぶん」
 「無理しなくて良いって。実は俺も志摩は苦手だった」
 ひとしきり笑って時間を見ると、十時を過ぎていた。

 飲み屋に何で駐車場があるのか解せない、と上野君は来た時に言っていた。
 大学のある仙台では公共機関が発達しているから、車で出掛けることも殆どないとも。
 「代行頼もう?半分出すから?」
 逡巡する姿に声を掛ける。
 「キスして良い?」
 「え?」
 突然言われ、慌てて窓の方を向く。
 「だ、駄目」
 つき合ってる人が居る訳じゃない。上野君が嫌いな訳じゃない。
 「私…」
 好きな人が居るから、とは口にしなかった。
 何故なら、その時頭にあったのは「篤っちゃんが何て言うだろう」それだけだった。
 「そっか。ごめん」
 謝ることなんてないのにそう言うと、代行を呼びに車を降りた。

 数日して仙台に帰ったと電話を貰った。
 そっちに帰ったらまた連絡するから、と言われ切ったが、春が来て夏が来て、また冬が来ても連絡はなかった。


 久しぶりの連絡に目を通すと、私はそのままゴミ箱に捨てた。
 無意識は怖い。
 志摩さんを避けたのとは逆に、あの頃の私は気付かないうちに篤志だけ見ていたのだと思う。
 篤志が有希の腕から逃げたのだって私に誤解されたくない無意識だったし、私が笑ったのもそれを判っているが故の無意識の笑顔だったのだ。
 会うことを黙っていたのも、無意識に思われていることを気付いていたから。
 それでも上野君に会わなければ、きっと自分の気持ちにも気付かなかっただろう。
 あれから数年経ったけど、おかげで篤志は今も隣にいる。
 そういえば、坂井君はちゃんと就職できたのだろうか。典子ちゃんの子供は来年辺り小学生のはず。
 藤原君は…元気だと良い。

   <了>
削除キー   

ホームページ  検索  ヘルプ  |  リスト   前のスレッド  次のスレッド  
お名前
メール
内容

送信する前に確認しましょう       

Point One BBS